JETBOYをスタートした頃の話。オレとファーニー(・ロッド)は出会った時からすごく気が合って、すぐにバンドを始めようぜってことになったのをよく覚えてるよ。それで一緒にやり始めて、それがJETBOYになり、あとはもう前進あるのみだった。まるですべてが勝手に進んでいくみたいだったな。ローカルバンドとして活動を始めると、すぐに観客が集まるようになり、バンドはでかくなっていった。500人規模のクラブを単独でソールドアウトにするくらいになったよ。
その頃には、オレ達LAに行くべきだって感じるようになって、それがさらなる飛躍のはじまりとなったんだ。オレ達にはマネージャーが付き、彼女はいつもオレ達と一緒に働いた。そしてエレクトラとの契約につながっていった。JETBOYのファーストアルバム『Feel
The Shake』の経緯っていうのは、今思い返しても本当に不思議な、でもグレイトな時間だったな。なにしろバンドを結成して、ほんの2年プレイして、急いでLAに移った直後のことだったんだからね。
それはちょうど、初代ベーシストのトッド(・クルー)をパーソナルな理由でクビにして、元HANOI
ROCKSのサム・ヤッファが加入したばかりの時期だった。それから少しして、オレ達はRecopd
Plantってスタジオで、プロデューサーのトム・アロムと共にレコーディングしたんだ。とにかく、なにもかもがとんでもない早さで起こって、集中し続けるのが大変だった。オレ達のレーベルのエレクトラでさえとまどってたんじゃないかな?
でも大体において、オレ達はグレイト・アルバムを作ったと思ってる。ただ、初期の頃からバンドを見続けてきてくれたファンや、周りの人々が予想していたのとは、かなり違ったアルバムだったと言えるね。実際のところ、オレ達はもっとストリート・パンク・グラムロックなバンドとして知られていたけど、出来上がったアルバムはポップ・フレイバーにあふれ、綺麗にプロデュースされてラジオ向けって感じになってたからね。だけどそれは、バンドとしての成長や、サムが加わったによってもたらされたステップアップで、オレ達はソリッドでタイトな、よりプロフェッショナルなバンドになっていったんだ。
バンド初期からの曲は、「Fire In My Heart」と「Bad
Desease」、この2曲だけがアルバムに収録され、他の曲はすべてLAに移ってから書かれたものだった。LAでのレコーディング中に起こった、他愛ないかもしれないけど、オレにとっては素晴らしい思い出をちょと紹介すると・・・.
1. 反対側のスタジオで、ちょうどロッド・スチュワートが『Out
Of Order』ってアルバムを作ってて、ジム・クリーガンが「Forever
Young」って曲で、オレのホワイトファルコンを使ったんだ。彼がギターを返してくれる時に添えてくれた、「Great guitar! Thank
you!」って書いたメモを今でも持ってるよ。
2. やっぱり同じ時期に、QUEENのブライアン・メイがスタジオ作業していて、オレ達の「Hard
Climb」って曲についてナイスなントをくれたんだ!
3. でも、なんといっても、トム・アロムと作業できたって事実が最高の思い出だな。彼はJUDAS
PRIESTの何枚ものビッグアルバムや、DEF LEPPARDのファーストなんかを手掛けた偉大なプロデューサーなんだからね! オレはレコーディングを通じて素晴らしい時間を過ごし、プレイヤーとしても成長できたと思うよ。彼はあの時期のオレ達に、いいスピリットを与えてくれたんだ。