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◆ ビリー・ロウが語るJETBOYの歴史 ◆

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JETBOYをスタートした頃の話。オレとファーニー(・ロッド)は出会った時からすごく気が合って、すぐにバンドを始めようぜってことになったのをよく覚えてるよ。それで一緒にやり始めて、それがJETBOYになり、あとはもう前進あるのみだった。まるですべてが勝手に進んでいくみたいだったな。ローカルバンドとして活動を始めると、すぐに観客が集まるようになり、バンドはでかくなっていった。500人規模のクラブを単独でソールドアウトにするくらいになったよ。

その頃には、オレ達LAに行くべきだって感じるようになって、それがさらなる飛躍のはじまりとなったんだ。オレ達にはマネージャーが付き、彼女はいつもオレ達と一緒に働いた。そしてエレクトラとの契約につながっていった。JETBOYのファーストアルバム『Feel The Shake』の経緯っていうのは、今思い返しても本当に不思議な、でもグレイトな時間だったな。なにしろバンドを結成して、ほんの2年プレイして、急いでLAに移った直後のことだったんだからね。

それはちょうど、初代ベーシストのトッド(・クルー)をパーソナルな理由でクビにして、元HANOI ROCKSサム・ヤッファが加入したばかりの時期だった。それから少しして、オレ達はRecopd Plantってスタジオで、プロデューサーのトム・アロムと共にレコーディングしたんだ。とにかく、なにもかもがとんでもない早さで起こって、集中し続けるのが大変だった。オレ達のレーベルのエレクトラでさえとまどってたんじゃないかな?

でも大体において、オレ達はグレイト・アルバムを作ったと思ってる。ただ、初期の頃からバンドを見続けてきてくれたファンや、周りの人々が予想していたのとは、かなり違ったアルバムだったと言えるね。実際のところ、オレ達はもっとストリート・パンク・グラムロックなバンドとして知られていたけど、出来上がったアルバムはポップ・フレイバーにあふれ、綺麗にプロデュースされてラジオ向けって感じになってたからね。だけどそれは、バンドとしての成長や、サムが加わったによってもたらされたステップアップで、オレ達はソリッドでタイトな、よりプロフェッショナルなバンドになっていったんだ。

バンド初期からの曲は、「Fire In My Heart」と「Bad Desease」、この2曲だけがアルバムに収録され、他の曲はすべてLAに移ってから書かれたものだった。LAでのレコーディング中に起こった、他愛ないかもしれないけど、オレにとっては素晴らしい思い出をちょと紹介すると・・・.

1. 反対側のスタジオで、ちょうどロッド・スチュワートが『Out Of Order』ってアルバムを作ってて、ジム・クリーガンが「Forever Young」って曲で、オレのホワイトファルコンを使ったんだ。彼がギターを返してくれる時に添えてくれた、「Great guitar! Thank you!」って書いたメモを今でも持ってるよ。

2. やっぱり同じ時期に、QUEENブライアン・メイがスタジオ作業していて、オレ達の「Hard Climb」って曲についてナイスなントをくれたんだ!

3. でも、なんといっても、トム・アロムと作業できたって事実が最高の思い出だな。彼はJUDAS PRIESTの何枚ものビッグアルバムや、DEF LEPPARDのファーストなんかを手掛けた偉大なプロデューサーなんだからね! オレはレコーディングを通じて素晴らしい時間を過ごし、プレイヤーとしても成長できたと思うよ。彼はあの時期のオレ達に、いいスピリットを与えてくれたんだ。


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Damned Nation』のレコーディングの時はかなり違っていた。まずオレ達は、すでにツアーをしたり、長いこと一緒に過ごしたりしてきたから、気分的にかなり違っていたし、『Feel The Shake』が思ったように売れてなかったことに対して、少しばかり苦々しい思いも抱いていたんだ。オレ達はマネージメントを通じて外部ライターとの共作を始め、レーベルはそれによってバンドがどうなっていくか見たがっていた。プロデューサーを探すかたわら、それ以外はすべてスタジオでデモを作ることに費やしていたよ。

そしてMOTLEY CRUEPOISONL.A.GUNSなんかと仕事をしていたデュアン・バロンジョン・パーデルと会ったんだ。彼らは、オレ達がどこからやってきたかということを本当によく理解してくれ、そしてオレ達の曲をグレイトだと思ってくれ、オレ達をグレイトなプレイヤーだと思ってくれた。そしてレコーディングに参加したいと言ってくれたんだ。

『Damned Nation』は、オレ達がバンドとしてここまでこられたということを、よく表わしていると思う。オレは今でもこのアルバムを作れたことを、とても誇りに思っているし、オレ達の成し遂げたものの中でも、最高の時だったと思っている。オレはスライドギターやアコースティックなものにとても打ち込んでいたんだ。オレ達はとても素晴らしいアルバムを作り上げたけど、ブレイクできなかった。それはとても残念なことだと思ってるよ。

スタートした頃から、バンドがどんなふうにやってきたかを思い返してみると、もしすべてが良い方向に向かい、そしてバンドとして成長できたなら、どれだけ素晴らしかったかと思うよ。でも実際には、物事は下に向かって落ち込んでいった・・・ オレ達が知らない間に、レコーディングすら終わらないうちから・・・

アルバムリリースの1ヵ月くらい前だった。サムがマイケル・モンローと一緒にプレイするためにバンドを辞め、オレはその時、これでオレ達の持っていた"マジック"がなくなってしまったと思ったよ…。それでもオレ達はひたすら進んで行くしかなく、彼の後任を入れて数ヵ月のツアーを行なった。そしてホームタウンに戻ったオレ達を待っていたのは、MCAがバンドをドロップしたっていうニュースだった。

その後もオレ達はなんとかバンドを続けて行くため、それから1年くらい、あらゆることにトライした。だけど終わっちまった。でも、それもRock n' Rollなのさ。シアトルミュージックが生まれ、Rock n' Rollを殺しちまったんだ! でも、変化の時が来ていたんだと思う。それに変化するってことは悪いことじゃない…。

『Damned Nation』にまつわる最も印象的な思い出といえば、デュアンとジョンのサポートで本当に最高のプレイができて、グレイトな曲を作れたことだな。彼らと一緒にした仕事から、オレは非常に多くのことを学んだよ。それはグレイトなアルバムを作り上げていくための、それにまつわることだけだ。周りのたわごとは抜きにしてね! それとオレは、マイケル・モンローが「Rock N Roller」のSAXをプレイするためにやって来たこととかを覚えてるよ。本当にクールだった。他には・・・とにかくグレイトなレコードを作れたってことだけ。


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オレは自分の手で、3枚のJETBOYのCDを、2つの小さなレーベルからリリースした。最初の1枚は、Perris Recordsからリリースした『A Day In The Glamourouse Life』で、収録されているすべての曲は、オレ達がエレクトラと契約を得るまでの間に書かれてプレイしていた曲なんだ。オレ達はハリウッドにカンヅメ状態にされて、24時間で17曲を仕上げたんだけど、最高の出来になったよ。そして12年たって、オレはこれを世に出すべきじゃないかと思ったんだ。いつもこの曲を聴きたいって言ってくれる人々のためや、これは本来リリースすべきものだって思い返した時に・・・遅くはなったけど、このままにするよりは発表した方がいいんじゃないかってね。

オレが手掛けた2枚目のリリースは、『Make Some More Noise』で、これは1stと2ndの中間の時期の、未発表曲やデモを集めたものになる。何曲かは『Damned Nation』に収録されなかったもので、1曲は『Feel The Shake』からはずされたもの。

最後の1枚は、Cleopatra RecordsからリリースされたLost & Found』で、これは様々な時期のJETBOYの曲を集めたものだよ。MCAからドロップされて、沈み行く船を救おうと書かれた曲も、いくつか入っているよ。

この3枚のアルバムすべて、オレ達にとってはグレイトなものだ。オレはとにかく、この年月を通してオレ達をサポートし続けてくれたファンに、このアルバムを捧げたい、聴いてもらいたいと思ってたんだ。何人かの人にとっては、いくつかは知ってる曲だったり、いくつかはリリースされるまでまったく聴いたこともなかった曲だったりするだろう。未だにみんなが、JETBOYを聴いたり見たりするのはどんなにグレイトなことか、どんなに楽しいことかって、オレに話しかけてくるんだよ。しょっちゅうね。

オレはファンの立場としても、多くのバンドに対して同じことを感じているんだよ。もしオレの大好きなバンドに、まだ聴いたことのない曲があるとしたら、オレは絶対に聴きたいし、手に入れたいと思うんだ。オレがJETBOYと共に過ごした7年間というのは素晴らしく、そしてひどくもあったけど、それがRock n' Rollだし、オレは何をもらってもそれを変えたいとは思わないよ。


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次に取り上げるMINDZONEについては、正直あんまり何かを思い返すことはないんだ。ミッキー(・フィン)とファーニーとオレは、流行りに乗ろうとトライして、そして何も生まなかった。MINDZONEは1993年に結成され、1996年に終わりを告げた。

オレにとってMINDZONEから生まれた最高の出来事といえば、マイケル・バトラと出会えて、彼とAMERICAN HEARTBREAKを始めることができたことさ! マイクとオレは、オレ達の本物のルーツである“good old Rock N Roll”に戻りたくてたまらなくてね。そして今、オレ達は4年に渡ってグレイトなバンドの活動をして、2枚のCDを世に出し(しかもひとつは日本のJVCレーベルからね!)、グレイトなライブをたくさんやって、すばらしい曲を書いてきた。そしてこのまま、もっともっと多くの素晴らしいことを一緒にやっていけるだろう!

AHについては、輝かしい未来を持ったGreat Rock N' Rollバンドだって言えるよ。オレは信じてるんだ。オレ達は最高のラインナップで、いいバンドだけが持っている“MAGIC”を持っているってね。確かに、音楽を取り巻いている状況ってやつは、オレがプレイし始めた頃とはかなり違っていると思う。でもRock n' Rollは復活して、またトップに向かっていると思うし、AHはその道のりを他のクールなバンド、BACKYARD BABIESジンジャーTSARBUBBLEなんかと一緒に先導していけるバンドだと思ってるんだ。

ボン・スコットが最高なセリフを残してるだろ。“It's A Long Way To The Top If You Wanna RockN Roll”―もしロックンロールしたいんなら、TOPまでの道のりは長いぜ―